内藤 隆

苫小牧高専の思い出

内藤 隆(機械工学科1期生・昭和44年卒)
出身中学校 幌別中学校(登別市)
勤務先 三井化学エンジニアリング㈱(勤務地 東京・新橋)

 57年ぶり夏の甲子園で、苫小牧駒沢高校が2年連続優勝という離れ業を演じ、 苫小牧出身の私としては、鼻高々・気持ちいいー状態にいます。

思い起こせば、1964年(昭和39年・駒沢高校開校と同じ年)に、あの弥生中学校の校舎で、苫小牧高専が始まりました。当時は、機械・電気・工化の3学科で約120名の仲間と何もない中で、訳のわからない勉強が始まったことを思いだします。私も苫小牧市内の寮に入り、弥生中学に通いました。2年目には錦岡に新校舎ができ、弥生中学とはお別れでした。その時は幌別から通学しており、室蘭本線の仲間とSLの客席を占拠して通いました。時々、他校からのやさしい?呼び出しに震えながら楽しい通学をいたしました。

5年生のときには、実習がある(校内勉強・社会勉強)との理由で錦岡の下宿に入り、楽しい・充実した1年間を過ごしました。この頃のトピックスは十勝沖地震です。実習(水力学)中に地震に遭遇して、生徒の身を心配していの一番に外へ飛び出した先生の誘導により、無事逃げ出すことが出来ました。その時の経験が、地震の時に大いに役立っております。(身内よりも早く避難して、安全を確認できたら身内を助ける?)

1969年に先生方の篤いお情けにより、やっと卒業でき当時の三井東圧化学の北海道工業所(砂川)に、入社いたしました。工化の森田先生の出身会社で、工化の加藤さんと一諸に馬糞風と雪の舞う砂川の地に3名の仲間と行きました。その後、砂川で21年、苫小牧で9年。建設業関係の仕事をいたしました。1999年1月に内地(東京)に転勤になり、練馬区に在住いたしております。

現在の高専については、わが娘が31期(情報5期)でお世話になり、また苫小牧では高専協力会に参加させていただきまして、お聞きいたしておりますが、私たちの頃と相当の違いがあるようです。ほぼ全員、産業界(企業)に入ったあの時代と、大学・公務員に半分以上が入る現状と大きく相違しております。確かに、企業でも、高専卒の採用が従来の企業では少なくなり、新しい企業に採用される状況から考え、後輩にどんなことを伝えたいかは、明確ではありませんが、少なくとも高専で得た知識をどのように生かすは、皆さんの心がけと思います。知識は多いほど良いとはいえない。それを生かす知恵を持ってもらいたいと考えております。

最後になりますが、ここ2・3年で同期の仲間が病気でなくなり寂しい思いもしております。1クラス40名という少ない仲間を大切にすると同時に是非、苫小牧高専OBの仲間と連絡を取り合い,交流をしていただきたいと考えております。道内以外にも、東京・名古屋・大阪と同窓の仲間がおります。気楽に声をかけてください。

(編集者註: 文中の「電気」は「電気工学科」で、現在の「電気電子工学科」の前身、「工化」は「工業化学科」で、現在の「物質工学科」の前身です。)